COLUMN 2019.07.31 UP
半年以上前の話になるけれど、空気の澄んだ冬の京都に初詣に行った。その夜、祇園を歩いていたらそのエリアで唯一あるダストボックスで残飯をあさっていたホームレスの男性がいた。向かい側から、ガタイのいい20代くらいのお兄さん2人がその男性に向かってやってきた。その場にいた人がサッーと引くのが分かり、少し緊張の空気が流れた。
「おじちゃん、お腹すいてるんちゃうかと思って、豚まん買うてきたわ。もしよかったら食べてな」
コンビニの袋をさっとおじさんに渡して、そのお兄さんたちは去っていった。私のカバンには子どもに買ったばかりのチョコレートがあった。
「ねえ、このチョコあのおじさんにあげてもいいかな。甘いもの食べたらきっと心がホッとすると思う」
そんなようなことを子どもに話した。当時5歳の子どもはとても所有欲が強かったのだが、なぜかその時はすんなり「いいよ」と言った。
「おじさん、これもしよかったら食べて。寒いから風邪に気を付けて」私が差し出すと、その男性は私の手を握りながら「ありがとう、ありがとう」と何度も繰り返した。子どもは私の後ろに隠れるようにその様子を見ていた。真っ黒の手で触られるのには、少しためらいがあったようだ。おじさんと手を離すと私の手には少しのケチャップがついていた。
私のそれは、自発的なものではなく、お兄さんの行動に触発されてのものだったけれど、打算のない澄んだ厚意は伝播、拡散すると、ここまで生々しい感覚で感じたことはなかった。それまではどこかで線引きしていた部分があった。こちら側とあちら側と。でも、そこに流れていた言葉や空気はその線引きを、ひょいと乗り越えられるものであった。先出のお兄さんの関西弁の軽やかさ、京都という場所、新年で清々しい気持ちであったことも影響していたと思う。これがきっと東京への旅行だったら声をかけることもしていなかったかもしれない。だれかがやるだろう。そんな気持ちもあると思う。
「今、やらなかったらいつやる?誰がやる?」
そんな気持ちがその行動に移させた。あれ以来、どんな人にでも、声をかけることにためらいがなくなった。誰かの澄んだ行動により、自分の壁を壊すきっかけになる。そんな誰かに自分もなりたいと思うのです。
前田 真弓
STLONGpress編集長。旅行会社で海外ツアー企画職についた後、結婚情報誌の編集、宿泊予約サイトのマーケティングアドバイザー、人材企業にてキャリアアドバイザーを経て現職。趣味は国内旅行。プライベートでは小学生の双子の母。
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